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パンク・ラウドの祭典「SUMMER CAMP」全史を振り返る!

「SUMMER CAMP」祝・10回記念特別対談!!
- HISTORY INTERVIEW Vol.2 -
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記念すべき第一回「SUMMER CAMP 2000」を経て、成長期〜変革期を迎えた「SUMMER CAMP 2004」までを企画者・ヨッキ&マサが振り返る!!

TEXT:荒金良介

2000

── 記念すべき第一回目の「SUMMER CAMP 2000」をやってみた手応えはどうでした?

ヨッキ渋谷ON AIR EAST(現TSUTAYA O-EAST)は1200人ぐらいのキャパだったけど、500~600人ぐらいしか入らなくて。。。

マサ1000人を目指していた覚えはありますね。

ヨッキ確かこの日は別の場所で大きなイベントがあったんですよ。まあ、とにかく人が来なかった。あと、最初で最後の外タレが1回目は出たしね。DEAD WEIGHTというアメリカのバンドなんですけど。

マサその年にフジロックに出るということで、その前にライヴをしたいと知り合いに言われたんですよ。

ヨッキ「外タレ入れてくれない?」と言われて、「外タレって、何すか!!」みたいな(笑)。

マサ俺らも若かったから、外タレならあり!みたいなノリでした(笑)。DEAD WEIGHTはバイオリン、チェロ、ドラムがいるような3ピースで、フジロックの空気に似合うようなバンドで。疾走感のあるロックをクラシカルな楽器でやるバンドで、出演バンドからは面白いね、と言ってもらえた気がする。でもDEAD WEIGHTのメンバーが酔っ払って、当時は2階に楽屋があったんですけど、その2階の通路からステージを見下ろせる形になってて、その通路の下にPA卓があったんですよ。それでメンバーがビールをPA卓に零したらしく、壊れましたと会場側から言われちゃって。俺らも1回目で何もわからなかったから、故障したのは事実ですからね。みんなで分割して半年ぐらい払い続けましたね。その後、PA卓の上に屋根が付いたんですよ(笑)。

── ははは、そうでしたか。

マサこの屋根代は俺らが払っていたんじゃねえか!って話をしてました(笑)。

── DEAD WEIGHT側に事情は話したんですか?

マサいや、言っても収拾付かないですからね。それもあり、来年はもうちょっと頑張ろうという気持ちが生まれてきたんですよ。

ヨッキそれまで次回の話なんて何もしてなかったですからね。

── サマキャン1回目は完全に初期衝動ですか?

マサそうですね。でも1回目をやって、01年には次のステップに行きたい気持ちがイベントをやってる最中に芽生えてきました。

ヨッキ全部手作りでやってたし、みんな協力してくれたので、それが良かったですね。

マサみんなでやろう感は出せたと思います。楽しかったですね。

── 偶然かもしれませんが、00年は「AIR JAM」が終わった年でもありますよね。

ヨッキああ、そうですね。

マサ一切そんなことは頭になかったですね。それを踏まえていたら、何もしてないかもしれない。

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